Trans Princess嘗て東京を大水害が襲った   「カスリーンの幻影」(その1)…☆

嘗て東京を大水害が襲った   「カスリーンの幻影」(その1)…☆

2016–08–28 (Sun) 13:15
昨日の記事で、

「台風の災害にかこつけて、原発事故や大停電や堤防破壊などの、
 破壊工作が行われる事は、十分に考えられます。」

という様な事を書きましたが、
実はかなり以前から、わたしが危惧している事があります。
台風に限らず豪雨により増水した際、関東地方のとある河川の、
とある部分の堤防を意図的に破壊する事により、大洪水を引き起こさせて、
首都東京の一部を含んだ広大な領域を、大混乱に陥れる事が出来るのです。

そのとある河川のとある部分とは、ここです。

pont-k-1.jpg

×印の地点、埼玉県加須(かぞ)市新川通といいます。
東京の浅草から日光へ向かう、東武日光線の利根川橋梁から上流へ1キロ上流になります。

ここは昭和30年まで、埼玉県北埼玉郡東村新川通と呼ばれていました。
第二次世界大戦の敗戦からまだ2年あまり、まだまだ戦後の混乱の最中にあった昭和22年(1947年)9月、
台風襲来による増水の為、この部分の利根川堤防が決壊し、大水害が起きた事があります。
その台風の名は…「カスリーン台風」。



カスリーン台風のウィキペディア
↑まずは上記リンク先のウィキペディアを一緒に読みながら、お話を続けてまいりましょう。

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カスリーン台風(-たいふう、昭和22年台風第9号、国際名:カスリーン〔Kathleen〕)は1947年(昭和22年)9月に発生し、関東地方や東北地方に大きな災害をもたらした台風のこと。カスリン台風や、キャサリン台風などとも呼ばれる。台風本体の勢力の割には降水量が多い雨台風の典型例とされている。
当時、日本はアメリカ軍を主とする連合国軍の占領下にあり、台風の英名についても1947年(昭和22年)から1953年(昭和28年)5月までアメリカ合衆国と同様に、A、B、C順に女性の名前が付けられていた(日本ではこの他にキティ台風、ジェーン台風などが有名)。カスリーン台風の英名は「KATHLEEN」であるので、Aから数えると11番目となる。
なお、この11個の中には、アメリカ軍が英名を付けたにもかかわらず日本が台風と解析しなかった熱帯低気圧5個が含まれている。一方、カスリーン台風の前には、日本が台風と解析したにもかかわらずアメリカ軍が英名を付けなかった台風が3つ存在する。よって、カスリーン台風を日本の台風番号で表すと、11-5+3で9号となる。
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そう、この当時はGHQ占領下で、台風はABCの順番にm名前がつけられていました。
ちなみにこの年の台風で米軍がネーミングした11この台風は、
1-Anna
2-Berrinda
3-Carol
4-Donna
5-Eileen
6-Faith
7-Gwen
8-Helena
9-Inez
10-Joyce
11-Kathleen
となります。

米軍式に言えば11号ですが、気象庁的には9号です。
49年後の今、10号台風接近の報を聞きながらこの記事を書くのも、興味深いですね…



000000819.gif
↑国土交通省関東整備局HPよりお借りしました。
2016年10号と違い、コース的にはとてもオーソドックスです☆
公式には房総半島の南端、千倉から御宿までの海岸線ギリギリに通過した事になっています。
上陸こそしなかったものの、典型的な雨台風で、広い範囲で豪雨となりました。

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この台風による死者は1,077名、行方不明者は853名、負傷者は1,547名。その他、住家損壊9,298棟、浸水384,743棟、耕地流失埋没 12,927 ha など、罹災者は40万人を超え、戦後間もない関東地方を中心に甚大な被害をもたらした。
特に、群馬県の赤城山麓や栃木県の足利市などにおいては土石流や河川の氾濫が多発し、これらの被害者を中心に群馬県では592人、栃木県352人の死者を出している。また、利根川や荒川などの堤防が決壊したため、埼玉県東部から東京都23区東部にかけての広い地域で家屋の浸水が発生した。この地域で大規模の洪水が発生するのは1910年(明治43年)8月の大洪水(以下、「明治43年の大水害」と記す)以来であった。
なお、東北地方では北上川が氾濫。岩手県一関市などで被害が出ており、岩手県内では109人の死者を出している。
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9月14日から15日にかけての主な降水量は、秩父 610 mm 、箱根 532 mm 、日光 467 mm 、前橋 391 mm 、熊谷 341 mm 、網代 329 mm 、尾鷲 256 mm 、宇都宮 217 mm 、仙台 186 mm となっている。
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上記のとおり、群馬・栃木・岩手の三県での犠牲者が殆どで、
こちらの被害詳細の考察も失敗学的には非常に重要なのですが、
この記事では「埼玉県東部から東京都23区東部にかけての広い地域で家屋の浸水」を中心に、
お話ししてまいります☆

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カスリーン台風による大洪水の発端となったのは、埼玉県北埼玉郡東村(現在の埼玉県加須市[大利根地域・北東部])での利根川堤防の破堤である。この場所は江戸時代に人工的に開削された新川通と呼ばれる直線河道であり、「明治43年の大水害」の時には破堤しなかったため、比較的楽観視されていた場所であった。
しかし実際には上流の遊水地帯が開発によって消滅しているなど、「明治43年の大洪水」当時とは状況が変化しており、利根川の水は全て新川通に集中することになった。それに加え、下流の栗橋付近には鉄橋があり、そこに漂流物が引っかかって流れを悪くしていたほか、渡良瀬川との合流点もあるため、増水時には水の流れが悪くなるという構造的な問題を抱えていた。
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さて、この付近のもう少し詳しい地図を見てみましょう。

kathleen1.jpg

栃木県、群馬県、茨城県、埼玉県…四つの県の境界線が交わる所であり、
関東地方を大きく南北に分ける、利根川が流れる場所であり、
その利根川と、渡良瀬川が合流する地点であり…と、ここはこの辺りの要衝の地なのです。
ピンが立ててある場所が、先ほどもご紹介した堤防決壊地点の埼玉県加須市新川通。
現在は堅牢な堤防が整備され、カスリーン公園として整備されています。


最近の台風・水災害を危惧してカスリーン公園を訪ねる
↑こちらのHPさまからお借りしています。

src_40644997.jpg
カスリーン大水害のモニュメントだそうです。

src_40645451.jpg
決壊口現場。ここから濁流が、遥か東京をめがけて下って行きました。

src_40645577.jpg
決壊口から上流方面を望む

長閑でいい所ですね。
とてもそんな大災害があった場所には見えませんが…
悲劇があった場所と言うのは、往々にして、そういうものかもしれません…☆


少しだけ遠くの風景 さま 「2つの大河と鉄道に囲われた緑の三角地」
↑こちらのHPさまよりお借りしています。

6050_view_01.jpg

決壊現場の1キロ下流にある、東武日光線利根川橋梁。
浅草発日光行きの、2ドアの快速電車が利根川を渡っていきます。
特別料金不要の為、車内は普通の4人掛けのボックス席ですが、
JRのボックス席より、ずっとゆったりしています。
そう、東京に住んでいた頃は、面倒でも一旦浅草へ出て、日光や鬼怒川へ行ったけ。
帰りは浅草で下車して、美味しい物を食べたりするのも、楽しみの一つでしたね…☆

…と、お話が横にそれてしまいました☆
上のお写真、もう一度見て下さい。
鉄橋のトラス(線路の上の覆いの様な部分)、真ん中部分と両端部分では形が違いますよね?
真ん中部は曲弦トラス、両端部分は平行弦ワーゲントラスという形です。
元々は真ん中の曲弦トラス部分だけが橋梁で、昭和4年(1929年)に出来たのですが、

両端の平行弦トラス部分は災害の7年後の昭和29年に、
カスリーン台風の水害を受けて河川改修(引き堤、嵩上げ)を行った際、
新たに付け足された部分です。
こんなところにも、当時の記憶が残っているのですね…☆


さて、この決壊部分、なぜ「新川通」という地名なのでしょう。
答えは簡単、文字通り、「新しく川を通した」場所だからです。
後から作った人工の川ですから、その想定された流量を上回った場合、
当時の様に水が溢れてしまい易い…いわばアキレス腱なのです。


お話は江戸時代にまで遡ります。

利根川東遷事業
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利根川東遷事業(とねがわとうせんじぎょう)は、利根川の付け替えにかかわる一連の河川改修。
狭義には、文禄3年(1594年)に行われた会の川の締め切り工事から承応3年(1654年)の赤堀川通水までを指すが、広義には、足尾鉱毒事件後に行われた明治時代後期までの一連の工事を含む。
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中世頃は、利根川と渡良瀬川とはほぼ平行して南流し東京湾(江戸の内海)へ注ぎ、河口も異なっていた。利根川は現在の古利根川・中川の流路に近かったが、上野国と武蔵国の両国の国境の南で乱流し、綾瀬川や荒川と合・分流していた。渡良瀬川の下流部は現在の江戸川の流路に近く、太日川(ふといがわ)と呼ばれていた。
徳川家康江戸入府後これらの河川の河道を付け替える工事が始まった。文禄3年(1594年)に会の川を締め切り、元和7年(1621年)には浅間川を締め切るとともに新川通を開削し、利根川の中流を栗橋付近で渡良瀬川に接続した。これにより、渡良瀬川は利根川の支流となり、太日川は利根川の下流の位置付けとなった。それまでの利根川の下流は、上流から切り離された形となり古利根川と呼ばれ、その河口は中川と呼ばれた。
さらに、承応3年(1654年)に分水嶺を開削する工事を行い香取海(銚子河口・太平洋)に通じる河道を開いた。このため、江戸時代から大正時代までは、利根川の下流は、権現堂川から江戸川を経て東京湾へ至る流路と、赤堀川から常陸川を経て太平洋へ至る流路が存在し、二つの流路は逆川を介して関宿でもつながっていた。そして次第に常陸川への流路の方に比重が移り、昭和3年(1928年)に権現堂川が廃され、赤堀川・常陸川の流路のみ残り、江戸川はその支流となった。

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多くの地名が飛び交い、話が込み入って混乱しそうですが…☆
要するに、元々江戸湾(今の東京湾)に注いでいた利根川・渡良瀬川を、
新しい川を通して、常陸川(今の利根川の関宿より下流の部分)にも水が流れるようにしたという事。
はしょりすぎてクレームも来そうですが、ここは土木のHPではないから、これでいいの!…☆

分かりやすくするため、天体・天文・暦・地図・気象さまのHPから、地図をお借りしてきました。


keiido_tonegawa011i.jpg

ただ、流路は水害などの度に度々変わったので、一概には言えないそうなのですが…

利根川-浅間川or会の川-古利根川-太日川-江戸湾
↓(分流)            ↑(合流)
渡良瀬川-庄内古川----- -↑  
  ↑思川(合流)

と言う感じでしょうか…これも一時的なルートでしょうけれどね。
ともかくも、利根川・渡良瀬川・思川といった大河川は、いずれも江戸湾に注いでいたのです。

ところが、江戸に幕府が開かれそこに町が出来ると、その治水対策に頭を悩まされる訳です。
京都の白河法皇が自分の思い通りにならない事を3つあげて、
「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」
と嘆いたという逸話がある様に、治水は昔から為政者の悩みの種なのです。
そこで、徳川家康はその打開策として、上記三川の流れを太平洋に注がせようとします。

これも、うーんとはしょってまとめると、
①まず新川通を作って、利根川を渡良瀬川につなげちゃう
②赤堀川を作って、①を常陸川につなげて、銚子方向へ水を流しちゃう
③名前は全部利根川にしちゃう
④江戸川も掘って江戸湾にも行けるようにし、水運に使っちゃう

更にはその下流部分で、
⑤鬼怒川と小貝川の合流を廃して、別々に利根川へ合流させちゃう
⑥その他モロモロ(面倒臭くなってきたので省略☆)

とまあ、これで江戸湾に流れ込む水量は大幅に少なくなった訳です。
江戸は100万を超える人口を擁し、徒歩型都市として世界史上最大級となった訳です。

し・か・し…

時代は明治に入り、江戸は東京市と名を変え、更に発展を続けましたが…

明治43年(1910年)9月。
その東京市を含めた関東広域が、大洪水に見舞われたのです…





(長くなったので、ここで一旦切ります☆)
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